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  医療者の意識変化
 
医療技術の発展はめざましく、その情報量は膨大です。
医療者は知識と技術の修得に真剣に対応しないと取り残されてゆく状況です。
さらに、医療に対する社会の要求も高まっています。それは技術的なことに限りません。治療姿勢や倫理観や社会性も求められ、患者(飼い主)の希望にどう対応するかも問われます。
医療者にとっては厳しい環境ですが、時代の流れと意識変化は止められません。
 
知識は学問で修得できます。一方、飼い主の意識は、常日頃の感覚を研ぎ澄まして感じるしかありません。
まずは、一般の患者(飼い主)がどのように考えているかを知る必要があります。
世間に媚びるのではなく、良心と誇りを持って社会の変化に適応する能力が大切です。
 
注) 以下は主に獣医療に焦点を当てています。

1    @被害者がミスを訴える理由。 コミュニケーションの重要性
 
 
被害者は医療ミスをどのように感じているでしょう。
 
医療ミスを追究する目的は、主に以下の3点です。
 
@ 真実解明
A 再発防止策
B 被害への補償
 
被害者がこのように考えるのは極めて自然な意識です。
治療内容に疑問がある場合、誰でも事実を知りたいと思います。
医療水準に満たないミスによって被害を受けた時に、何故ミスがおこったの? という疑問が必ず起こります。
 
@ 真実解明
真実が明らかにされることは最も重要です。
被害者が状況を確認するために医療者に面会を求めるとき、医療者を徹底的に懲罰することが目的ではありません。この時点では単に真実を知りたいと考えています。
特に獣医療では、稚拙な単純ミスが多発する現状であり、飼い主が指摘する内容の多くは明白なミスの例です。
換言すれば、人医療と異なり、ミスを問う時に学術的判断が難しい症例での訴えは少ないということです。このような場合、大多数は治療に疑問があっても泣き寝入りしています。
このことは、逆にいえば獣医師にとってミスの原因を飼い主に説明しやすい環境といえます。ミスの原因も理由も言わずにただ謝れば解決するというものではありません。もしミスの原因を理解していないならば、何を謝罪するのかさえ明らかではなく、いずれ同じミスを繰り返します。
 
ところが、誰が見ても明らかなミスであるにもかかわらず、飼い主に不誠実に対応し嘘をつく獣医師がいます。その行動は、飼い主の常識の範囲を超えて理解不能です。その獣医師は一般の正常な社会人とは言えませんし、まして正常な獣医師とは言えません。その存在が獣医療全体の品位を大きく損ねています。
 
A再発防止策
被害者は、同じような被害が起こって欲しくないと切望します。新たな被害者を作りたくない、そして医療者に同じ過ちを繰り返して欲しくない、と考えます。医療ミスが関係者に与える大きな苦痛を知っているからこそ、再発防止を強く願います。
防止策の実行は、安全な医療を確立し、被害者の苦痛を救済するための絶好の機会です。
 
B補償
補償は、被害者の経済的損失または精神的損失に対してなされます。
一般的な補償の方法は、金銭、文書、または話し合い等があります。
法的には損失に対して金銭で賠償することが一般的です。しかしすべての被害者は法に訴える前に話し合いを求めており、最初から金銭での解決を望んでいるわけではありません。
また金銭的補償に関しては、人間と動物では金額が全く違います。
獣医師はこの事実を理解する必要があります。つまり、飼い主はお金が欲しくて訴えているのではないということです。
獣医療界では金額は一般的相場で対応することが多いようですが、実際に要した費用や労力、また、飼い主が受けた精神的ダメージには大きな幅があります。また飼い主がどのような補償を望むのかも違います。
 
補償は最終的に考慮される問題です。
それまでに、「真実解明と再発防止策に誠実に取り組んでいるかどうか」、によって補償の内容は大きく変わります。
ミスは何故おこったのか、どのようにしたら回避できたのか、どんな予防策が可能なのか、獣医師がミスの本質を知っていれば、ふさわしい補償案が見えてきます。
誠実に対応すれば、互いの精神的負担も金銭的な負担も軽減されます。
 
最初から「ほどほどの賠償金を払って解決すればよい」と考えて対応すると問題をこじらせるだけです。
 
 また、被害者は医療過誤の有無のみを訴えるわけではありません。
 有名な医学雑誌「New England Journal of Medicine」(324巻370頁1991)に、米国の医療事故について述べられています。
ハーバード大学の研究「Harvard Medical Practice Study(HMPS)」では、入院患者30000人の検討で、1300例(3.7%)に医療事故が発生し、そのうち300例が医療過誤でした。医療事故による死亡は13.6%で、死亡例の約半数は医療過誤によると指摘しています。入院患者1000人として、40人が事故、10人が過誤に遭い、1000人中2人が医療過誤により死亡していることになります。 (図1参照)
 
 この事実は驚くべきことで、医療界にとって衝撃的でした。
 同時に驚きだったのは、医療過誤が存在した280例で実際に医療過誤で実際に損害賠償請求が請求されたのは8例のみであった点です。
全30000人例で過誤による損害賠償請求がなされたのは51例ですが、大部分はHMPS研究班が「過誤なし」と判定した例でした。
 つまり、実際の医療過誤被害者280人中272人は損害賠償を請求していない一方、過誤に対する損害賠償の訴えは実際の過誤の有無とは無関係のところで起こされていたのです。
医師と患者のコミュニケーション不足や信頼不足が医療訴訟をおこす重要な要素となることがあきらかです。
 

医療事故の頻度 (Harvard Study)


2    A謝罪運動の高まり。 医療事故は謝罪と再発防止で解決する
 
SorryWorks.net
謝罪運動サイト 「Sorry Works!」  右アイコンから
 
医療ミスを限りなくゼロにすることは最も重要な目標です。しかし残念ながらミスは必ず発生します。
 
米国医学研究所(IOM:Institute of Medicie)の報告書、「To Err is Human: Building A Safer Health System」(人は誰でも間違える) がその事実を明確に示しています。(http://www.iom.edu/CMS/8089/5575.aspx)(ページ下アイコンからリンク)
この報告書がきっかけとなり、リスクマネージメントの重要性がクローズアップされました。
ミスはすべての医療者に起こりえる、という考えが現在の医療の常識となっています。
 
ところが、これまで多くの医療者は次のように教えられて育ってきています。
「医療ミスを起こしても、認めてはならない、謝罪してはならない。」
 
その理由は以下があります。
● 医療ミスを認めると訴訟をおこされる
● ミスを起こす病院は社会的に悪質病院とみなされる
● 世間の評判が落ちてお客が減る
● 同業者に低く評価される
 
しかし、訴訟状況をみると実際は全く逆です。
ミスを犯しても素直に謝罪せず、ミスを隠すことが原因で訴えられています。
ミス発生ではなく、隠蔽の事実に対して社会的制裁を受け、同業者の信頼を失っています。
隠蔽は一時的には当事者の責任が免れ、嘘が通用するかもしれません。しかし長期的には医療不信を助長し、医療倫理が厳しく問われる結果になります。医療ミスを隠すメリットが全くないことは歴史が証明しています。
 
なによりも、ミス隠蔽は原因の解明を阻み、再発防止につながりません。
本質的な真実解明と再発防止がなされないと、被害者はさらなる苦痛を味わいます。
 
医療ミス問題を解決するために、医療ミスの開示と事故対策の気運は高まりつつあります。
特に訴訟の多いアメリカでは、一般人だけではなく、大学医学部や病院も率先して、謝罪(I'm sorry)運動を展開しています。この運動の支援サイトも公開されています(上記アイコンから)。
例えばミネソタ州では医療事故をすべて一般公開しており、係争の大幅な減少と訴訟費用軽減、ミス情報の集積と回避策につながっています。
具体的な効果では、2001年8月と2005年8月を比較した場合、
損害賠償費用は300万ドル→100万ドル
紛争解決所要期間20.7ヶ月→9.5ヶ月
紛争訴訟件数 262件→114件
となっています。
訴訟件数が減少したことは、それだけ被害者がミスを許し納得した結果であり、加害者と被害者双方にとって費用面と精神面で大きな恩恵を受けています。
 
被害者を救済するためには、徹底した説明と情報開示と謝罪がもっとも必要な解決法です。
誠実で正直な医療が確立してこそ医療の発展と信頼を獲得できます。
 
この考えは、日本の人医療でも徐々に浸透してきています。獣医療ではまだまだ不十分ですが、獣医師も情報公開と謝罪の意識を早く身につける必要があります。
獣医師と獣医療界が動物の安全と飼い主の意識に正面から取り組まないかぎり、獣医療への信頼と獣医師の地位向上は望めません。人医療の失敗の歴史を繰り返す必要はありません。
 
なお、ハーバード大学病院使用の、医療事故:真実説明・謝罪マニュアル「本当のことを話して、謝りましょう」 の翻訳がネットにて公開されています。
東京大学の真実説明・謝罪普及プロジェクト」メンバー 2006年11月16日
http://www.stop-medical-accident.net/html/manual_html.htm
 
 
 

3    B獣医療業界の狭い垣根にとらわれない
 
 
Q:獣医療の目的は何ですか?
A:はい、動物を治療することです。
 
この単純明快な目的がありながら、獣医療業界はいまだに右往左往しています。
 
・他の動物病院との争いごと
・地域、組織の主導権争い、派閥争い
・獣医師間同士の敵対、非難中傷
・飼い主の医療ミス追究に対する団結と隠蔽工作
・個人主義や金権主義の台頭
 
など。
多くの問題を抱えたままです。
 
これらはすべて獣医療の発展を妨げます。飼い主と動物は蚊帳の外に放置されます。
この争いの中で生き残る獣医師は果たして何を得るのでしょうか?
その時日本の獣医療はどんな形で生き残っているのでしょうか?
 
医療の発展は、誰が勝つか負けるかの話ではありません。
あえていうならば、このままでは獣医師全員が負けます。
争いに参加しなくとも、獣医師の地位が下がれば同じことです。高見の見物をする余裕はどこにもありません。
 
知識は共有し、情報は交換し、医療の質を向上させることは決して難しいことではありません。
無意味な垣根を取り払えばいいのです。
 

4    C自分の実力を偽らない、飾らない
 
 
飼い主に対しても、また、同業獣医師に対しても、医療に関する無用な虚栄を張る必要は全くありません。
実力を伴わない治療は早晩露呈します。飼い主が何も知らないと決めつけて杜撰な治療を続けていると、飼い主どころか同業者の笑い物になります。
 
「診たことがないので診断と治療が判らない」、これはどの獣医師も必ず経験します。
ではこんな時どのようにして解決できるでしょうか。少なくとも以下のことを考えます。
 
● 教科書やその他の情報を探して勉強する
● 病気を知っている獣医師に教えて貰う
● 治療できる獣医師や病院に紹介する
 
病気が判らないことは恥ではありません。
「判らなければ判るようにすればいい」、 だけのことです。
見栄を張る必要はどこにもありません。
 
一方飼い主は、獣医師が判らない時は次のことを希望します。
 
● 獣医師が何が判っていて何が判っていないかを知りたい。
また判らない場合はその状況を知りたい。
・経験したことがないため全然判らないのか?
・治療の方向性は判るが情報(データ)が不足しているため判らないのか?
・何が判らないかについて判っていないのか?
● どのような検査や方法をしたら病気のことが判るのかを知りたい。必要な検査の項目と方法を把握しているのか、あるいは理解できていないのか知りたい。
● 獣医師が今後どのような方針を立てようと考えているのかを提示して欲しい
● 他の獣医師が治療できるのか、出来るならばそれはどの先生であるのか、またはどの病院であるのかを教えて欲しい
● 他の病院へ行く必要があるとしたら、紹介してもらいたい、あるいはその病院情報が欲しい
 
しかし、残念なことに、病気も判らず飼い主の意向も無視してでたらめな治療を続ける獣医師もいます。
その結末は悲惨です。
動物はとりかえしのつかない状態に陥りそのまま絶命するか、あるいは飼い主は瀕死の動物を奪い返して別の病院に飛び込みます。
初期治療のひどさは、転院先で内容が明らかになります。飼い主も後医も怒りを覚えるでしょう。
無知でありながらそれを隠して突っ走り、周囲に大きな損害を与え続けることは、ミスを繰り返すのと同じ大きな罪悪です。
 
獣医療は決して一人だけではすべてをこなせません。
獣医師同士は連携して情報を共有し、互いの質を高め、獣医療と飼い主に還元する必要があります。
自分のことだけ考えているといずれ行き詰まると認識すべきです。
 
 
☆論語より☆
小人の過つや 必ず文(かざ)
文(かざ)るとは表面を取り繕うこと
器量が小さくてつまらない人は、何か失敗をすると必ず言い訳をしたり取り繕ったりしてごまかそうとする。
失敗したら同じ失敗を繰り返さないよう反省しなければ人として進歩しない。
 
 

5    D学ばない医療者は生き残れない
 
 
開業前に修得した知識と技術があれば、その後も一定期間、ある程度のレベルの医療を提供できるかもしれません。しかし、技術の進歩は早く、飼い主の要求度は高まり、医療水準も高まります。時代遅れの古い知識だけでは到底間に合いません。実臨床は、応用力と情報収集がたえず求められます。ベストを尽くすのは当然としても、必ず最近の治療動向を把握する必要があります。時代遅れの不十分な治療の範囲で頑張っても動物のためにはなりません。
「ほどほどの治療を提供すればそれで十分」という場合でも、医療水準を満たす治療であることが前提になります。
 
また飼い主にばれなければ少しくらいは間違っていても大丈夫、という意識では、これからの時代を生きてはゆけません。
飼い主の医療知識を心で探りつつ治療を誤魔化そうとする意識は大変危険で傲慢になりがちです。優れた飼い主はそれを見抜く目を持っています。
医療を学ぶ目的は、生命を救うために自分自身の能力を向上させることに他なりません。
 
 

6    E医療ミスは医療者が考える以上に厳しく問われる
 
 
何をもって医療ミスと考えるか、各医療者の認識には温度差があります。
治療能力や意識の違いによって、同じ治療をしてもミスしたと感じる医療者もいる一方、ミスはないと断言する医療者もいます。
一般に、医療水準に満たない治療はすべて医療ミスと指摘される可能性があります。
医療者がいくらミスではないと主張しても、はたして適切な治療であったのかどうかを裏付ける根拠にはなりません。
 
客観的に見て正当な治療をしているのか、追究されても正々堂々と正当性を主張できる治療をしているのか、医療者自身はたえず自己検証しなければなりません。
視野を広く持ち、さまざまな情報を吸収し、能力を高めることで質の高い治療を提供することが出来ます。
 
例えば以下の症例を想定して対応のあり方について考えてみます。
 
「血尿を伴った高齢犬の膀胱結石手術をしたが術後3日目に腎盂炎と腎不全で亡くなった。」
 
担当獣医師は以下のように考え飼い主に答えました。
 
「一般的な抗生剤を使用して教科書通りの手術をした。ベストは尽くしたので過失はない。リスクのある手術だから結果が悪くてもしかたのないことだ。」
 
それでは、この手術ではなぜ救命できなかったのでしょうか? 
この例で、ミスのない最善の治療であったと結論づけるためには確認すべき事項は多数あります。
 
●診断の遅れはなかったかどうか。血尿の精査をどのように進めたか。
●手術の時期と適応は妥当であったのかどうか。
●術前の感染は十分抑えられていたのかどうか。原因菌の同定と感受性検査は行っていたか? 
●術前、術後の全身管理は万全といえたかどうか。腎機能の評価や、腎負担の軽減のための対策は十分であったか。
●感染症への対策は万全といえたかどうか。起こりえる尿路感染症に対して、術前または術中に細菌感受性を考慮した十分量の抗生剤を投与していたかどうか。また補液量は利尿をつけるために十分であったかどうか。
●手術中の滅菌操作や手術環境に問題はなかったかどうか。結石の取り残しや糸異物の可能性はなかったか。
●飼い主に十分な説明を行っていたかどうか。飼い主は納得していたかどうか。
など。
 
いわゆる、「通常通りに治療したが結果は良くなかった」場合、多くの獣医師はその責任を負う必要がないと考える傾向があります。
曰く、「動物の体力が足りなかった」、「一般獣医療の限界だった」、「自分なりのベストは尽くした」など。
しかし、治療がすべて正しく医療ミスはあり得ないと結論づける前に、改善すべき点や見落としがなかったか必ず検証する必要があります。
 
上記例を医療水準論で考えた場合、感染抑制が不十分であったことや、膀胱結石手術で死亡した事実そのものが医療ミスの範疇であると指摘される可能性はあります。
また、飼い主が、「手術前の説明と違う」と訴えれば説明義務違反を問われる可能性も否定できません。万一裁判で争われた場合には、治療の全体または一部が医療ミスと認定されるかも知れません。
 
医療行為は、さまざまな視点からの批判や指摘にさらされる業務です。
どんなにベストを尽くしたと主張しても、問われるのは治療の質であり治療プロセスの正当性です。
自分は間違っていないと考える治療でも、全国に通用しなければ正しい治療と評価されません。
一つ一つの正しい行為の積み重ねで治療は成功します。逆に、判断の誤り、知識の不足、見落とし、などが重なれば失敗します。緻密さと注意深さが要求されるゆえんです。
 
医療者は、ミスの可能性や深刻さを肝に銘じ、公明正大な治療を追究する必要があります。
それが医療者自身の発展のためであり、同時に医療ミス回避にも直結します。
 

7    F獣医師の独断的思考は通用しない
 
 
医療の本質は、「正しく治療して治すこと」です。
飼い主と動物が求めている「誠意ある治療」とは、医学的に正しい治療を実践する能力や追究する姿勢が備わった治療です。
知識と技術が医療水準に到達しないレベルでは、「できるだけのことをした」と力説しても、それは医療者の自己満足と詭弁と言わざるを得ません。
 
「獣医療に人生を捧げている」
「いつもベストを尽くしている」
「飼い主と動物のために寝る間も惜しんで頑張っている」
このような意気込みや獣医師職業論は大変重要です。実際にも、飼い主はその獣医師の言葉に一種の安心感と信頼感を抱くこともよくあります。
 
ただし、獣医師個人の職業論が立派であるとしても、医療の質とは異なる次元の問題です。獣医師の優れた職業ポリシーを貫くためには、それに見合うだけの知識と技術が必要です。
職業論や人生論が優れていても、それだけでは病気は治せません。
 
「ベストを尽くした」という獣医師の説明を日常よく耳にします。
それでは以下の例ではその意味はどう解釈されるでしょうか? どちらの獣医師も、最善の治療をしたという自負を持って飼い主に説明しています。
 
@ 獣医師は病態も的確に把握しながら標準レベル以上の治療を実施した。しかし、病状は深刻で、
「残念ですが治りませんでした。ベストは尽くしました。」
 
A獣医師は病態を十分理解しないまま古い知識と未熟な技術を駆使し、右往左往しながら医学的には誤った治療をした。
「残念ですが治りませんでした。ベストは尽くしました。」
 
「ベストを尽くす」との意味は、両者では完全に違います。
 
@の治療は正当であり、飼い主は感謝の意を表すでしょう。獣医師は正しく評価され、その症例の経験を今後に生かしていけます。
Aの治療は誤診であり、動物に対しては虐待となり、飼い主に対しては虚偽と詐欺そのものです。
 
獣医師の説明が本当に適切であるかどうかは、治療内容と結果を見ながら判断する必要があります。
 
同時に重要な点は、担当獣医師は、かけがえのない命と引き替えにして何を学習したのか、という点です。
「自分自身が未熟である」
「他に考えるべき治療などがあったかもしれない。さらに学ぶ必要がある。」
と感じるならば、今後の獣医療に望みがあります。
 
他方、「病気がよく判らないが今までの経験で頑張ったのだから結果は悪くてもしかたがない。数が多い中では動物の1頭や2頭はだめになって当たり前。」 
こう自分に言い聞かせて納得するとしたら、それは動物と飼い主と獣医学を置き去りにしたエゴと独断です。今後、獣医師として、また人間として成長は望めません。
 
医療者はたえず自分自身の仕事を客観的に評価し、能力を高めていくべきです。自分を中心にした考え方は必ず嘘と妥協につながり、飼い主の信頼を失うことになります。

8    G不誠実な治療姿勢は許されない
 
 
「動物は人間とは違うので同じような治療はできないし、対応は違って当然である。」 
 
このように考える獣医師は多く、また実際にも医学的に同一の治療ができないことも確かにあります。
この時飼い主は、「同一でなくとも動物にもっともふさわしい最善の治療をして欲しい」と考えています。誤った治療や質の悪い治療でもよいと考える飼い主はいません。
 
しかし獣医師の中には、動物と人の違いを悪用したり、あるいは治療者のあるべき倫理を捨て去る人がいます。
「しょせんは動物だから、治療の内容に嘘があったり多少悪くても問題は生じず、動物や飼い主への対応もほどほどにしておけば済む。」。手抜きをしてもばれなければよいとの身勝手な言い分にすり替えてしまう意識があります。しかも残念なことに、この意識は獣医療界に少なからず存在しています。
 
一部の獣医師は診療意識に悪影響を与える飼い主側因子として、診療費不払い、飼い主の判断不足、治療への無理解、過度な要求などを指摘します。
たしかにこれらは診療モチベーションにはマイナス要素ですが、嘘や手抜きの治療を正当化する理由にはなりません。感情的要素と医療の質とは区別して処理されるべきです。
 
これまでほとんどの飼い主は、治療内容や獣医師の姿勢に疑念を持っていても声をだしてきませんでした。
様子見で認めてきた理由は、獣医療社会の実情をよく把握できていなかったことと、医療を追究する獣医師の考え方が飼い主と同じ方向性にあると信じていたからです。
 
獣医療の現実には多くの欠陥が山積しています。問題点を知りながらそれをむしろ逃げの理由にする姿勢は断じて許されません。
解決に向かうべく努力する姿勢こそが問われています。
 

9    H医療者は後輩(研修生)を育てる義務がある 
 
 
医療者は、治療行為と同時に、後輩(研修生)を育てる重大な使命を持っています。
技術も知識もそれを広げ伝承することで社会に浸透し獣医療の歴史を作ることができます。
自分だけが知っていればよい、後輩に教える必要もないし各自勝手に覚えていく、という人もいるかも知れません。
しかし一人だけで覚えた知識も技術もあっという間に更新され進歩していきます。いずれ後輩の意見を参考にする時期がきます。
若い人を指導することで指導者もまた勉強しながら成長していきます。
人作りをおろそかにしていると、早晩仕事に行き詰まります。
 
さてそれではどのようにして後輩を指導していくべきでしょうか?
その方法に約束事はありませんが、少なくともスパルタ式指導はもはや通用しないことは明らかです。
 
「昔は先輩の仕事を見て技を盗んだものだ」
「失敗しながら覚えていくのだから、ミスの一つや二つ、くよくよするな」
「寝ないで苦労するからこそ覚えるんだ。休んでいる暇はない!倒れても働け!」
「俺の言うことが聞けなければさっさと辞めてしまえ」
 
昔の医療者はこのように教えられ、先輩について歩きながら技術と知識を覚えていた風潮がありました。
先輩としては、そこには「獅子千尋の谷に突き落とす」の親心が働いているかもしれませんが、今はそれでは後輩はついていきません。
先輩が苦労して覚えたことは確かに貴重な経験ですが、無駄で非効率的な側面も同様に大きかったはずです。
そうであれば同じ事を繰り返させるのではなく、より覚えやすい環境を整えてやることが真の指導者といえます。
いわゆる先輩風を吹かすような徒弟制度は化石と同じです。
 
またすべての医療行為に責任を伴う以上、「失敗してもいいからやってみなさい」ということはできません。
仮に獣医師仲間ではそれで通用しても、動物と飼い主がむざむざ被害に遭う状況が許される時代ではありません。
「新米獣医師だから愚かなミスをしました」では済まされません。その責任は上司も同じく問われます。
基本的な事項を教え、さまざまな症例を一緒に診ながら経験させ、後輩の力量を把握しながら実診療につかせるといったシステマティックな指導をする必要があります。
応用能力は個人差があるため後輩が覚えるゴールは全員同じではありませんが、すべての内容は基本に則った正しい医療であることが重要です。
先輩は単純に卒業年度が古い年長だから偉いのではありません。
誰に対しても正しく誇れる仕事をしてこそ尊敬されるものです。
 
 

10    I知識と技術だけでは良い医療者とはいえない
 
最終的に、医療者は人間性が最も重要な要素です。
 
飼い主は医療の素人であるため、治療を理解するときにはまず、獣医師の人となりを見てある程度信用することになります。
初心者であれば、獣医師に全幅の信頼をよせるかもしれませんが、多少の経験を積んでくると、獣医師の人間性を見るようになります。
仮に技能が優れていても、人間性が育っていない獣医師には飼い主は信頼をおきません。
他の獣医師よりも腕があればましなほうで、人間性は乏しいがそれで我慢をしよう、獣医師はこんなもの、と、半分あきらめている飼い主は少なくありません。
平たく言えば、「技術者」としては評価するが、「医療者」とは思っていないということです。
 
それでは獣医師の人間性はどのようにして獲得されているのでしょうか。
卒前卒後研修に、「人間性」を育てる良き師、手本などの環境は十分にあるのでしょうか。
これは極めて不十分な状況です。
 
現在の獣医療現状を見ると一目瞭然ですが、品性を伴わない院長の下でとにかく技術だけを修得しようともがく研修医の存在があります。
先輩の騙しのテクニックや手抜きの治療を見せつけられ、心の中では反社会的獣医療慣行を不快に思いながらも、とにかく独立するまで技術を覚えようと徹している現実があります。
長い獣医療人生において技術や飼い主対応は徐々に覚えていけますが、肝心の人間性は若い時にこそ培われます。
 
若い研修生の心を育て、豊かな人間性を育むために、先輩獣医師は大きな責任を負っています。
今一度、何のためにどのような獣医療を実践しているかを見つめ直す必要があります。
また、自分自身が若い獣医師に対して人生の師として誇れる状態にあるのかどうかを考える必要があります。
 
医療者が医療者たるゆえんは、人間性と人間愛を持っているからです。この意識を忘れることはできません。
 
「先生の腕は信用するが、人間性を信頼できない。本当に頼りにしていいものかどうか不安が残る。」
飼い主にこのような不安を与えないように、人間性を磨く必要があります。
 
 

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