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小 動 物 医 療 の 在 り 方 (日本獣医師会雑誌 会報)

 獣医療の現状と今後について

    管理人提言  (2007年春)
 
獣医療の現状を見る限り、獣医師が社会に信頼された確固たる地位を得ているとはいえません。
 
それはどうしてでしょうか?
 
獣医療の歴史や体制の問題、または動物の地位の問題等があることは原因の一つかも知れません。
 
しかし私は、その主な原因は多くの獣医師の意識にあると考えます。
すなわち、
● 医療者としての誇りを忘れています。
● 社会のために尽力すべきとの自覚を失っています。
● 社会に認められる身分を獲得するための苦労と改革から逃避しています。
 
 
一方、獣医療界を見ると、以下のように考える獣医師が少なくありません。
 動物は法的に物だから人と同じ医療にはならない、またはそこまでする必要がない。
● 人医療は医療基盤整備がなされ、保険制度も確立して収入が確保できるが、獣医療はそうではないからコスト面から考えて医療の質は確保できない。
● 飼い主の無理解と知識不足のために獣医療の質が低下させられる。
● 動物が家族とは言っても、それはゆがんだ家族愛の表現に過ぎない。
 
しかしながら上記の考え方は医療の本質から目を背けており、獣医師が困ったときに逃げ込む理由付けに過ぎません。
今の獣医療が抱える将来の見えない状況にあせり、獣医療を目指していた自身のモチベーションの低下をおそれ、怠惰に慣れてゆく自身をやりきれずに見ている獣医師の姿がそこにあります。
「隣の芝生は青い」という言葉があります。他の職種や他の獣医師と比較しても何の解決にもなりません。
 
例えば、獣医療はしばしば人医療と比較されて論じられます。
「医者はいいよね。収入もあるし社会的地位もある。健康保険があるから未払いもない。」
 
しかしながら、たとえ環境面が良好としても、社会的義務と責任は重く、ミス一つない仕事を要求されています。そして万一患者の生命がおびやかす過失があれば、責任を厳しく問われます。
それでも重症患者がいれば、自身の都合など無関係で、考え得る最高の治療のためにすべての情報と技術を駆使します。そこには私利私欲もなければ医師社会の上下も関係ありません。治すことが第一の目的だからです。
 
獣医師は、話のできない相手=動物、を相手にします。人では乳幼児、脳神経障害、身体障害者、高齢者等に相当します。
相手は不平、不満や苦痛を表現できず、治療ミスをも指摘することはできません。
普通の医師は、「むしろそうであればこそ、より真剣に慎重に対応しなければならない」、と考えます。医師の判断によってその人の運命が決まるからです。
しかし残念なことに多くの獣医師は、「相手は何も言えないのだから手抜きが可能でミスもばれない、と考えます。結局の所、動物だから、で片付くと知っていて行動しているのです。
 
上記の違いは何によるのでしょうか。
私は、医療者の誇りと良心の違いである、と考えます。
 
医療者は、与えられている決定権と裁量権によって治療する能力がある反面、自身の都合優先で嘘または不十分な治療だけで終わらせることも可能です。
例えば、心不全、腎不全などの重症疾患では、集中治療室あるいは24時間監視できる場所に収容し、綿密な水電解質管理、循環動態管理を実施すれば救命できる可能性はあります。
しかし、それが面倒と考える獣医師は飼い主の意向とは無関係に、おざなり治療で終わらせることもできます。ICUに入院させたにもかかわらず、夕方巡回しただけで朝になったら容体が悪化していた、という事例はいたるところで発生しています。
治療内容の詳細を飼い主は理解できないと知っているので、ほどほどの説明で済ませ、これほど楽なことはありません。しかも時間と労力は省略しても濃厚治療の名の下に高額な請求はできます。
実情は獣医師のみぞ知る。誰にもばれなければいい。という発想です。
 
このように獣医師の裁量権は強大であり、またそれを否定しては治療は成たたないことは紛れもない事実です。
ただし、ここには、獣医師の良心と善管義務が前提としてあります。
これを悪用してでたらめな医療を行使する獣医師は明白な反社会的存在です。
 
そして獣医師にとって、誇りを失った事実と、悪しき獣医療を継承したという社会的無責任さは、死ぬまで一生心の奥にひっかかるものです。
獣医業によって、業界での地位、名誉、収入、など優れたものを手に入れるかも知れませんが、社会、飼い主たち、そして同僚や後輩の真の信用と信頼は失ってしまいます。獣医療の歴史に名は残っても実が残りません。
それはおそらく大変むなしいことでしょう。
 
多くの獣医師が望んでいるのは、優れた獣医療と社会的信用、充実した仕事、獣医師を志して良かったという職業人の誇りです。
そうであればそのために努力するのが自然な生き方です。
国家資格を与えられその道を歩んでいくからには、目先の安楽さに目を奪われず自らが決定し目指す獣医療に向けて素直に積極的に取り組んでいくべきでしょう。
 
獣医師は社会に向けてどのような姿であるべきか?
社会との関わりの意識を抜きにしては、何年たっても獣医療界は混沌から抜け出せません。
そして獣医師個人の生きる道は、獣医療全体の発展と無関係ではありえません。
 
獣医療の未来が、獣医療者そして飼い主を正しい方向へ導いていくものと期待しています。
管理人意見  
(2006年秋)
 
近年、動物を飼う家庭が急速に増加し、動物は家族同様の存在として社会的に認知されています。
それに伴い、小動物医療の必要性は高まり、獣医師は重要な社会的職業になっています。
開業動物病院数と獣医学部志望学生数の増加からも、小動物医療の需要と発展の程度が大きいことがうかがえます。
しかし、現在のように獣医療が普及し、獣医療の質向上と獣医師の倫理向上が求められているにもかかわらず、ずさんな獣医療と医療ミスが常態化し、その改善策は遅々として進んでいません。
「獣医療を向上させることが社会的貢献および責任である」、獣医療界にこの意識と行動が不足しています。
 
獣医師は、獣医療の諸問題と困難さを主張することで医療の質低下を正当化しようとする傾向があります。
・獣医療の社会的基盤が整っていないために治療が普及せず、発展しない。
・動物が法的に物扱いだから獣医師の地位が上がらない。
・収入が少なく労働条件が厳しいから医療ミスが起こってもやむを得ない。
・飼い主の治療意識が低すぎるためにやる気を喪失する。
・こんなに苦労しているのに報われない。評価されない。
など。
上記意見は自己中心的で、獣医師の社会的責任を放棄する考え方であり、社会一般には受け入れられません。
自分たちの問題点を声高に一般人に釈明して恥と思わないようであれば社会常識がないと言わざるを得ません。
 
さて、当HPではさまざまな観点から獣医療の問題点を指摘し改善を求めてきました。
しかし、「しょせん獣医療はほでほどで十分」と考える獣医師は、責任感も誇りも緊張感もないままに漫然とミスとでたらめ治療を繰り返しています。
獣医療の未来を自らの手で否定する獣医師の有り様には落胆するばかりです。しかもそうした確信犯的な獣医師を誰も抑制しようとしないことも同様に大きな問題です。
これまで獣医療界が真剣に取り組んでこなかった諸問題が山積したままです。本来、獣医療者が解決すべき問題でありながら、ほとんど成果はあがっていません。
飼い主は、獣医療の悪しき現状を黙って見過ごすことはできません。
 
それでは獣医療改善のためにどのようなことが必要でしょうか?
以下に私見を述べます。
 
1.医療の理念に基づく治療を施す。
 
獣医療を考えるとき、獣医師の考える医療と飼い主の求める医療の質が同じとは限りません。
飼い主が期待する獣医療は、人医療と同様に命の尊さを最優先に考える医療です。
しかし、現在の獣医療は、経営的観点を最優先し、動物の尊厳を人間のそれと同様には考えてはいません。
 
病気の本態を見極めずに漫然とその場しのぎの治療を続け、結果が悪くても病気のせいにして体裁を取り繕います。
治療法がわからないままに治療を続け、その先はどういう結末になるか分かっていても無意味な治療を続けます。
そうした治療がごく一般的に行われ、獣医師がこの現状に疑問を持たずにいることは恥ずかしいかぎりです。治すために必死に学び絶対に助けるという真剣さが不足しています。
飼い主が治療に不信を持たなければ延々と誤った治療を続ける行為は、悪意がなくとも悪質です。
 
2.繊細かつ真摯な治療を実践する。
 
動物の疾患は多様多彩であり、また、動物は苦痛を訴えることができません。それだけに、獣医師は全身状態を繊細に観察、判断する能力が必要です。
ちなみに人医師は、「患者に学べ。病気に学べ。」と教え込まれるそうです。生命を扱う時に、【病気を治してやる】との、おごった考えを戒めるためです。
病気は医療者の知識や都合に合わせて発生するわけではありません。また、医療者が生命を操作できる能力を持っていると考えるのは思い上がりです。
医療は生命力を補うための補助行為でしかありません。
真摯な治療姿勢は医療者のもっとも基本的立場です。そして、いかなる状況にあっても、最善の治療を心がけなければなりません。
 
現実には、飼い主が医学知識がないことをこれ幸いに、不完全で不満足な治療で済まそうとする例が相当数あります。
飼い主は知識がないがゆえに動物病院を受診するのであって、知識がないからといって飼い主を欺いたり治療をおざなりにしたりするのは【おごり】以外のなにものでもありません。
 
俗に「悪質獣医師」という言葉があります。これは詐欺行為や、高額診療費を請求するなどの、確信的に悪意のある獣医師を指します。
それではその他の悪意のない獣医師は良い獣医師といえるのでしょうか?
むしろ、真摯に治療を実践しない多数の獣医師の存在こそが大きな問題と考えられます。一見には悪質さが見えないからです。
 
「普通に真剣に診察すれば分かるはずだった病気」、
「治療が思わしくなくとも精査もせずに毎日同じパターンのおざなり治療」、
「手術はしてみただけで予後は保証しないといった責任放棄発言」、
「できるだけのことはしたんだと飼い主を説得する話術」
など、ちまたでよく聞かれる内容です。
 
しかしながら、治癒を目的とした治療行為にあっては、精度と完成度を伴わない治療はむしろ有害です。
「治療を施すこと」、が目的であってはならず、「結果的に治すこと」が目的であるはずです。
感染治療をせずに感染症巣部を手術し、術後感染症のために創がつかない、このような治療は無能からくる動物虐待でしかありません。
「体力がなかったからですね。」飼い主にそう説明するとたいていの場合は決着がつくのかも知れませんが、明らかな医療ミスです。
 
動物が治るかどうか、それは飼い主の人生さえも大きく左右します。水準医療では普通に治る病気でありながら、獣医師のおごりや無知で動物を失った飼い主の人生は大きく狂い、心に甚大な傷跡を残します。動物の命を危険にさらし、飼い主を不幸に突き落とす医療は、正しい医療の姿とは言えません。
 
「やったフリ診たフリ」、あるいは「やったつもり診たつもり」、など、ほどほどの治療でお茶を濁し、無知をそのままにする獣医師は、悪意がないとはいえ悪質獣医師であることに変わりはありません。
また、手抜き治療や能力不足を露呈させないためのさまざまなテクニックを覚え多用していく過程で悪意のある悪質獣医師に陥っていきます。
飼い主の意向を汲み取っているかのように振る舞いながらも巧妙に獣医師にのみ好都合な診療を行う方法
誠実さを演出する方法
治療内容が伴わなくとも、人医療の基本的イメージ(信頼、安心、良質)をことさらに見せかける方法、など)。
 
くれぐれも自分の実力を知り、治療内容を検証していく必要があります。
 
3. ミスやヒヤリハット例の根本原因を探り万全の対策を考える。
 
「結果が良ければ途中のミスは許容範囲内。もしまた失敗しても、その時に考えればいい。」
「同僚の治療ミスを別の獣医師がカバーして治したからそれでOK、飼い主に知らせる必要はない。
ミスの対処は獣医師の裁量権であり、もし何か指摘されてもこの回答で飼い主も納得するはず。」
「優秀で高い評価を得ている先生の治療で起こった希なミスだから問われるほどではない。標準医療をはるかに超える専門医療では現時点ではミスを問題視する必要はない。」
 
こんな意識はありませんか?
ミスを起こしたらその対処と修復は当然のことです。しかし問題がそれですべて解決するわけでもなければ飼い主が納得するわけでもありません。
治療が簡単でも高度でも、ミスが起こった原因の存在自体が問題なのであり、その原因を把握し、いつでも対処できるようにすることが重要です。
ミス事象に対する危機意識のあり方は、治療の完成度に決定的に影響します。
以下の意識の違いによって、医療者の将来は大きく左右されます。
 
@ミスの発生は普通に起こることであり、もしミスをしても、どうにかできる、という意識。
「もしミスで最悪の状況になっても、それなりの説明をすれば飼い主にはミスがあったとは悟られないだろう、あるいはこの程度の謝罪をすれば丸く収められるだろう。」
 
このような意識があると、ミスの基準も獣医師の自己解釈であいまいにしてしまいます。心の奥では、どのようにしたら責任を免れることができるのかを模索しています。
何のためにミスを予防するのか、その目的が失われてしまっては無意味です。
漫然とした治療が問題視されるのは、そこに大きなミスの危険性をはらんでいるからです。
 
同時に、医療上の嘘と詭弁に慣れ表面的に取り繕う行動を繰り返していると、人間としても卑屈で歪曲した精神を持ってしまいます。徳を失った獣医師は誰からも信用されません。
 
Aミスの発生はなんとしても避けなければならない、とする意識。
そのためにはさまざまな知識、準備、環境作りなどすべきことが膨大にあります。
「物品の用意、手技手順、人の配置、起こりえる合併症の知識と対策、等を学び、準備をしておこう。」
「頭をはたらかせ安全で効率的で満足度の高い治療を実現させよう。」
「つまらないミスは能力がないことの現れであり、ミスゼロの継続は医療者の責務であり誇りである。」
 
ミス回避策を真剣に考えると、知識と技能は顕著に向上し、より完成度の高い医療を目指すようになります。
「飼い主と自分に嘘はつくような治療はしない」、との自己規律は医療者の人間性を形成する基礎です。
同じ治療行為の繰り返しでも、上記@Aの意識の違いは数年後には獣医療の質の違い、また獣医師像の違いとなって現れます。
 
 
4.臨床経験と疾患の情報を共有する。
 
獣医師が技術と知識を磨くためには、他の獣医師と情報交換して学ぶ必要があります。独学だけでは現代医療に追いつかず、誤ったままの治療を続ける危険性があります。
いつしか欺瞞と独善の日常診療に陥ります。
 
情報交換は形式的、表面的な内容では不十分です。希有な症例や限定的な成功例を示すだけではなく、日常診療でよく診る症例群をいかにして確実に治療するのか、などについても掘り下げて検討する必要があります。経験が乏しいときや地位や名声が欲しいときに、嘘やはったりを交えて見せかけの成功を声高に主張することがあります。データねつ造は医療者として恥ずべき行為で、いずれ露呈します。
知識と情報はいつもどこでも誰にでも通用すべきであり、他人との競争や優劣のために悪用してはなりません。
情報交換は、失敗例、工夫例、合併症の対策など、誰もが必ず経験する疑問や問題を再確認するための機会であり、治療の質向上には不可欠です。
 
5.獣医師同士の連携(ネットワーク作り)をはかり、個人的な利益追求のみに終始しない。
 
開業獣医師はともすれば個人主義で自分だけの利益追求に走りがちです。そのため他の獣医師に治療情報を提供せず、通院中の飼い主を囲い込もうとします。発展途上の獣医療社会で、他の獣医師との無意味な競争は獣医療全体に何のプラスも生み出しません。
獣医療が社会的に信頼される職業にならない限り、獣医師の価値は低いままで終わってしまいます。内部で小競り合いをしている場合ではありません。
獣医療向上を念頭におくと自ずと他の獣医師との連携と協力が必要になります。
 
飼い主が求めるのは、一定水準の医療を安定的に享受できる獣医療体制です。また、他病院のセカンドオピニオンや治療情報が潤滑に進む病院相互の連携体制です。紹介先病院を多数把握し、快く紹介する病院は大きな信頼を得ています。
 
病気治療はひとつの動物病院だけですべて完結できるとは限りません。
病気や怪我はいつ発生するか分からず、診療時間外、旅行、転勤、あるいは移動困難な状況もよくあります。その際、前医と後医の情報連携が機能すれば治癒率は向上します。動物の継続的な健康が治療目的であり、携わる獣医師はその場だけの治療でお茶を濁さず、長期的視野で治療を選択するべきです。
 
6.人材を育成する。
 
獣医療発展に優秀な人材は必須です。
優秀な獣医師を育成するために、諸先輩、同僚獣医師の指導が重要であり、その環境作りが急務です。
卒後研修で教えを請う新人獣医師に対し、先輩たちはもてる知識と技能を十分に提供する必要があります。新人を単なる労働力として考えたり、自分の都合に合わせて動かす兵隊として扱ってはなりません。
新人は、先輩たちをその治療方針や経営戦略だけではなく、人生の師としても見ています。
手抜きの方法、利潤の上げ方、飼い主への対応、動物への接し方、その他すべてを学びとります。
指導者も教えを請う新人も、真剣に真摯に治療に向き合う必要があります。
 
7.病院内のチームワーク体制を率先して築く
 
病院の規模にかかわらず、スタッフ同士の円滑なチームワークによって医療はさらに高品質になります。獣医師はそのリーダーとして全体をまとめあげる責任があります。
日々の診療行為の中に潜むリスクを洗い出し回避する、効率化を図る、スタッフの技術と治療意識を統一する、などきめ細かな指導が必要です。
スタッフの意見を無視して獣医師がワンマン路線で押し進めると、いつしかスタッフとの意識はすれ違い、そして社会意識とずれていきます。
 
飼い主は、獣医師に治療技術のみを求めているのではなく、獣医師の人間性をも求めています。
チームワークがまとまっている病院そして獣医師の存在は、飼い主と動物に大きな安心を与えてくれます。
 
8.獣医療の目的意識を正しく持つ。
 
現在、動物が家族の一員として社会的にも認められ、獣医療の重要性は高まるばかりです。この状態は、まさしくかつての獣医療界が求めていたものです。
 
すなわち、獣医師の社会的存在価値が高まり、獣医学が進歩し、動物の生命が救われ、そして獣医師の経営基盤が安定することです。実際的にも獣医療者にとって将来性があります。
一方、獣医師界の発展は同時に獣医療充実という重大な社会的責任を課せられます。また、動物の生命に対する責任と、飼い主の要求に応える責務が課せられます。
社会に認められ恩恵を受ける一方で、責任は問われたくない、という獣医療の現状はあまりにも未熟と言わざるを得ません。
 
獣医療は治療行為に附随して対価が発生するビジネスです。飼い主は治療の方法と成果に対して支払っています。
獣医師が経営を優先するあまり、動物の苦痛を無視してまるで品物のように扱い、飼い主の意向に沿わず、あたかも、動物=お金を生む道具、そして飼い主=お金を持ってくる人、のように考える傾向があります。飼い主も動物も心と意志を持つ存在であり、金銭と同等に取り扱われることは決して受け入れられる考え方ではありません。
愛情のない獣医療は、傲慢で獣医師の自己満足にしか過ぎません。
 
獣医師は、獣医療を実践してゆく目的と理念を再確認すべきです。
病院を規模拡大して能力を世に知らしめること、個人的財産を築くこと、地域に貢献すること、人材を育成すること、学問を追究すること、経済界や行政やマスコミなどに売り出すこと、さまざまな目的がありそれは個人の意志で決定できます。いずれの方向であれ、本来の動物治療を正しく実践してこそ得られる目的です。
虚偽と治療ミスと隠蔽によって得られることは断じて許されません。国家資格を悪用し、動物の命を金銭のために粗末に扱う獣医師は、社会悪であり徹底的に排除されなければなりません。
 
 
獣医療の現状をみると、医療者として責任の甘さがあり、そしてなんとなくその無責任が許されているかのようです。
正確に言えば、許されているのではなく、多くの飼い主が獣医療と獣医師へ期待がもてず、治療をあきらめてしまっています。
また一般社会も獣医療に展望を見いだせないでいます。小動物を扱わなかった畜産獣医療から小動物を治すための小動物獣医療へ移行しても、「今の獣医療はこんな程度なのか」と。
獣医師はいつまでもこの状況に甘んじていられません。
 
治療で飼い主を騙し、ミス隠蔽の方策を覚えるのは、獣医師の自己防衛策であり仕事上許容範囲であろうとする意識が蔓延しています。
しかしこの発想は完全に誤りで、危機管理を自ら放棄し、泥沼にはまっていくだけです。
もしそれが見えていないとしたら大変愚かしいことであり、また知っていながら改善しないとすれば悪質です。
 
「病院規模を拡大して成功と思っていた。いざ蓋をあけると訴訟の山で初めて飼い主との認識のずれを知るが、それでもなお飼い主を排除する」
この仮想話が現実のものにならないように、獣医師自らが襟を正し責任を全うすべき状況になっています。
 
近い将来、獣医療であっても医療の質が厳しく問われ、医療ミスが許されない時代が必ず到来します。
獣医療訴訟事例も、今は漠然と不安げに考えていても、今後は現実的に身に迫る問題となってきます。
 
獣医師自身が、どの程度の治療能力を備え、今後どのような獣医療を目指そうとするのか、飼い主は獣医師の意識と行動を期待しています。
 
 
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獣医療の現状と今後について
  (管理人意見2006年度)

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