獣医療に対する社会的要求が高まるにつれ、獣医師に求められる医療レベルはますます高度になっています。獣医学の知識や技術、あるいは機器は日進月歩であり、その情報を習得するためには系統的かつ継続的な研修が必要です。日本の獣医療の発展にとって高水準の医療レベルを確保することは極めて重要です。
そして、これに関連した現在の教育状況や今後の研修制度のあり方は、治療を受ける動物とその飼い主にとっても重大な関心事です。
獣医学の臨床能力を習得する場は、大学在学中(卒前教育)と獣医師免許取得後(卒後教育)に大別されます。
以下、それぞれの現状について考えてみます。
(T)卒前教育について
獣医大学は、国立大学10校(・北海道大学、・帯広畜産大学、・岩手大学、・東京農工大学、・東京大学、・岐阜大学、・鳥取大学、・山口大学、・宮崎大学、・鹿児島大学)(学生定員数は合計325名)、
公立1校(大阪府立大学)、私立大学5校(・酪農学園大学、・北里大学、・日本獣医畜産大学、・麻布大学、・日本大学)(学生定員合計600名)があります。
大学教育は文部省が管轄し、学部6年生獣医学教育の基準(基礎、臨床、応用、その他)や取得単位数は、1983年6月24日に文部省令第23号、文部省告示第88号として規定されています。(リンク1) 昭和58年に4年制から6年制に移行した時の基本構想では、どの大学においても十分な獣医学教育が獲得できると期待されていました。
しかし残念ながら、現在の大学教育だけでは十分な臨床経験を積むことが困難な現状と言わざるを得ません。
平成10年に日本獣医師会で実施した「6年制獣医師に関するアンケート調査」報告書においても、獣医学教育の最も重要な部分である臨床教育と公衆衛生教育が不十分であるとの結果が報告されています。(2)
特に、「動物病院に勤務する獣医師の満足度」をみた質問
(あなたが6年制獣医学教育から得た知識・技術は、あなたが就業した事業所に勤務するうえで十分なものと考えますか)では、
「全体的に不十分である」と「不十分なものが多い」の合計が70.3%であり、「全体的に十分である」と「十分なものが多い」の合計の12.6%と比較して極めて高率となっています。(3)
このように大学での臨床教育が不足する理由にはいくつか指摘されています。
例として、
以上のような獣医学教育の現状と問題点に関しては日本学術会議獣医学研究連絡委員会報告(1)(7)、「獣医学教育のあり方に関する懇談会」答申について (9)に詳しく記述されています。
また獣医学教育の改善のためにはさまざまな方面からの取り組みがなされています。
日本獣医師会をはじめとする各種獣医師団体、委員会、全国獣医学関係大学代表者協議会(10))などからの提言(11)や、行政(文部科学省、厚生省、農林水産省)への働きかけ(12)(13)などが実行されています。このような積極的な取り組みが早期に奏功して実現に向かうことを強く願っています。
学生教育はこれからの獣医療の未来を決定づける大事業です。この事業を発展させることは、獣医師諸先輩達や教育に関わる関係者全員に課せられた重要な社会的使命といえます。
現役獣医師と獣医療全般が将来にわたって安定した立場を堅持するためには、立派な後継者を育成することによってのみ展望が開けるといっても過言ではありません。
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(U)卒後教育について
卒前教育では、学生は知識の習得等においていわば受け身の立場であり、実臨床の直接的責任を負うことはありません。
それに対し、卒後研修は獣医師自らが率先して習得すべき自己責任業務となります。実臨床での知識不足と技能不足はそのまま動物と飼い主さらには獣医師自身への不利益に直結します。
現在に至る獣医療の悪しき問題点は、個々の獣医師の修練が絶対的に不足しているにもかかわらず、周辺環境がそれを黙認し、獣医師本人がそれを甘受し誤った認識を有することに起因しています。
その結果、獣医師および獣医療全体の社会的信用が低下していることは自ら招いた危機ともいえますが、飼い主にとっては大変不幸な状況です。
また、医療過誤時の責任は、新人であろうが勤務医であろうが全く免罪されません。このことは医療過誤裁判例(14)をみても明らかです。この裁判判決では、病院責任者である院長とともに、診療に関与した勤務医2名も過失を問われています。
さて、卒後教育の重要性は開業獣医師から得られたアンケート調査結果(3,181件)によく表れています。(15)
アンケート内容は、卒後臨床研修、継続教育および専門医養成教育の三本柱からなっていますが、小動物臨床獣医師の意識として、卒後研修医制度の必要性(89%)、継続教育の必要性(80%)、専門医制度の必要性(71%)、と回答されています。
大多数の臨床獣医師が卒後教育を必要と感じていることから、獣医師の研修環境が不十分であることがうかがえます。
(A)卒後臨床研修
卒後研修は任意ではなく獣医師法に明記されており、指定病院での6ヶ月以上の研修が努力目標とされています。
獣医師法(昭和24年6月1日法律第186号、H4年5月一部改正)
(臨床研修)
第16条の2 診療を業務とする獣医師は、免許を受けた後も、大学の獣医学に関する学部若しくは学科の附属施設である飼育動物の診療施設(以下単に「診療施設」という。)又は農林水産大臣の指定する診療施設において、臨床研修を行うように努めるものとする。
2 農林水産大臣は、前項の規定により指定した診療施設が臨床研修を行うについて不適当であると認められるに至つたときは、その指定を取り消すことができる。
3 農林水産大臣は、第1項の指定又は前項の指定の取消しをしようとするときは、あらかじめ、獣医事審議会の意見を聴かなければならない。
第16条の3 前条第1項に規定する診療施設の長は、当該診療施設において同項の臨床研修を行つた者があるときは、当該臨床研修を行つた旨を農林水産大臣に報告するものとする。
獣医師法施行規則(昭和24年9月14日農林省令第93号)
(臨床研修の実施期間)
第10条の2 法第16条の2第1項の規定による臨床研修の実施の期間は、6月以上とする。
獣医師が社会的要求に応えるべく研鑽を積む必要性は今さら言うまでもありません。
研修事業推進の一環としてH12年3月、日本獣医師会が発行した『獣医師卒後臨床研修指針』には、研修カリキュラムなどについて詳しく記載されています。(16)
基本構想はおおむね医師と歯科医師の研修制度を参考にしています。ちなみに歯科医師は1年間、医師は2年間(17)の研修が義務付けられています。
獣医師の研修期間や内容が適切であるかどうかは試行錯誤的に決定されるでしょうが、今後この制度が発展していくことは望ましいことです。
現時点で臨床研修が可能な施設は、以下の二群に分類されます。(16資料7)
@ 獣医系大学に付属する診療施設(16大学)
期間6ヶ月以上
主に小動物に関する研修
推進事業:臨床獣医師研修事業
実施主体:(社)日本獣医師会
実績(H11年91名、H12年80名、H13年32名、H14年43名、H15年101名)(獣医師法第16条の3に基づく報告)
A 農林水産大臣の指定する施設(4カ所8群)
期間6ヶ月以上
主に産業動物に関する研修
推進事業:自衛防疫体制強化等産業動物獣医師研修事業
実施主体:(社)全国家畜畜産物衛生指導協会
実績(H15年)25名(1カ所4群)
(B)継続教育
獣医師生涯研修とも呼ばれる制度で、日本獣医師会・獣医師生涯研修事業運営委員会がH12年度から施行しています。(18)
学会や研究会への参加をポイント制として加算し、一定数を3年間獲得すると研修プログラム修了証が交付されます。(19)
この制度は自主申告による任意の研修であり、日本医師会が実施する医師生涯教育制度と同様の方式です。
この研修により、「生涯研修実績証明書」取得(平成14年度254名、平成15年度405名)、「生涯研修プログラム修了証」取得(平成14年度333名、平成15年度134名)の実績となっています。
この生涯研修は、まさしく自己研鑽のためにあります。どのレベルまで修得すべきであるかを強制したり比較したりすることが最終目的ではありません。研修医が研修の会場に積極的に参加し、知識と見聞を広めるための動機づけの一手段と言えます。
反面、この生涯研修事業を受けなくとも実診療に全く支障がないため、不要と考える獣医師もいます。それは個人の自由とも言えますが、その場合でも、少なくとも相応の機会を利用して自己研鑽を積まなければなりません。
こうした制度を活用しないとしても、最後まで他の研修の機会を放棄して終わらせようとすることは厳に慎まなればなりません。覚える気があると言いながらも何もせぬまま時代から取り残されていくことは、誰にとっても不幸なことです。
(C)専門医制度(スペシャリスト育成)
獣医学の進歩と技術の向上に伴い、治療行為の細分化と専門化は自ずと発生します。そして専門性を備えた高度医療の必要性は高まる傾向にあり、専門医療によってこれまで不可能であった救命が可能になることは大きな恩恵といえます。獣医師が一般医療に加えて専門性を修得することは医療の質向上にとって明らかに望ましいことです。
この専門医制度は高度医療の受け皿をどうするかの延長線上の議論です。しかしながら、必ずしも獣医師全体の主流とは言えません。
既述の獣医師生涯教育に関するアンケート調査結果(15)では、専門医制度の必要性は71%が認めていますが、「専門医養成教育への参加希望」への回答では、「どちらとも言えない」(31%)と「参加しない」(22%)が過半数を占め、一般の診療獣医師は専門医の資格を取得することについての意向はそれほど高くはない、と解釈されています。
確かに専門医養成の必要性は概ね認知されていますが、専門医教育機関選定、評価方法、研修中の経済的保証、獣医師全員のコンセンサス、など、現実的な運用にはまだまだ課題が山積しているといえます。
現時点で全国統一の制度は困難であることから、独自に専門医または認定医制度を設立している学会があります。
1.日本獣医循環器学会 (20)
2.比較眼科学会 (21)
3.日本獣医がん研究会(認定医T種、U種)(22)
4.JAHA認定獣医内科専門医 (23)
5.JAHA認定獣医外科専門医 (23)
6.日本小動物外科専門医協会(24)
今後は上記のような学会主導の専門医制度が増加すると予想されます。この専門医制度がどのように充実され獣医療に反映されてくるのか、飼い主としては大いに関心があります。
ところで、専門医(または認定医)制度が十分機能するためには前提として以下の条件が必要と考えます。
残念ながら、上記1.と2.に関しては現在その前提は崩れていると言わざるを得ません。
獣医師が国家資格という公的使命を担う職業である以上、研鑽は自己のためだけにとどまらず、社会的責任として取り組むべき課題です。嫌いだからやりたくないとか無関係だから必要がない、などの甘えは通用しません。
まずは卒前卒後生涯研修を通して獣医師全員の一般的医療能力を引き上げ、標準医療を安定的に供給できることが必要です。
標準的医療が普及しない状態で専門医の概念が先行すると、いわゆる専門馬鹿が生まれてしまう危険性があります。
この問題はすでに人医療において経験されています。細分化された専門性の弊害として一般医療の修練がおろそかになり、医師の一般診療能力が低下したことが問題視されました。
その改善策として、新たにH16年度から2年間の初期研修(内科、外科、小児科は必須)義務化が開始されるに至った経緯があります。(17)
同じ過ちを繰り返さないように留意しながら獣医師生涯教育を進めて欲しいと願います。
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すべての治療行為は、一般医療であれ専門医療であれ、基本知識と基本技術に立脚し、その応用が専門的な高度先端に発展します。
高度な治療を可能とするためには、手術適応が厳密に吟味され、確実な知識と技術が遂行され、術前術後管理が十分に実践されることが大前提となります。
技術におぼれたり病態のみに目を奪われたりして、【木を見て森を見ず】、という視野狭窄に決して陥ることのないように、動物を総合的に診察できる能力を獣医師生涯研修によって修得して欲しいと願います。
その際、習得すべきハードルはできるだけ高く設定しておくと、その後の成長に大きくプラスになります。
当座の診療に間に合うだけの浅く広い技能を習得するだけではなく、疑問点を追究し奥深い医療を目指す意識で臨むと、その後の判断力と応用力は格段に向上します。
教科書に載っていることを鵜呑みにせず、臨床症状の変化を自分自身の目で確認するプロセスを経て、教科書以上に科学する力「真の治療力」を体得することが出来ます。また、論文を読むときには、その内容を理解するだけではなく、論文に載っていない事に疑問を持つ意識がステップアップのポイントです。
一つの課題を解決できてもその先に次の課題が待ち構えています。それが自然科学の面白さでもあり怖さでもあります。幾多の症例を経験してもそれで充分ということはありません。医療に携わる者はその宿命として、手を抜かずに生涯学び続ける義務が科せられます。
獣医師道を歩んでゆくからには、妥協をせず義務を果たす覚悟が必要です。
さらに、広範囲な人的交流によって「社会性を身につけること」も研修の重要な要素です。
狭い業界にのみ身を置くとどうしても一般社会との意識格差が生じます。
獣医師は社会人としての資質を備えることも重要な使命です。
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生涯研修の重要性
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